「いのち」を耕すコトバを見つけに

読書系ブログです。「いのち」を耕し、豊かにしてくれるコトバを見つけに、本の森へと分け入っていきたいと思っています。

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お立ち寄りくださいまして、ありがとうございます。本ブログでは、私の読書体験や心に残ったコトバ、楽曲などのご紹介に加えて、私の疾患について綴っていく予定です。

どうぞよろしくお願いいたします。(2018/05/09)

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同様に「質問箱」へのリンクを設置いたしました。(2018/0523)

 

ネットとピア・カウンセリングの可能性について

おはようございます。

昨日(5/25)Twitterを徘徊していて、工藤啓さんが下の講演会についてツイートしているのを見つけて、さっそく申し込んでみました。すると、すぐに登録が済んだとの返信が届き、参加できることになりました。今回の記事は、この講演会(に参加すること)に触発されて書いてみたいと思い立ったものです。

 

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この講演会では、SNSカウンセリングの可能性について話をうかがえるようです。しかし今回は、ネットを通じたピア・カウンセリング「的」な「対話」の可能性について考えてみようと思っています。ここでの「ピア・カウンセリング」とは、当事者(=疾患を抱えている人)がカウンセラーの役を務めるカウンセリングのことと考えていただければけっこうです。

私がピア・カウンセリングという言葉を知ったのは、もう何年も前のことです。区が主催し、運営はNPO法人に委託されている「地域生活支援センター」に通っていたときのことでした。そこでは希望者に対して、ピア・カウンセリングの講習を施し、機会があればピア・カウンセリングの実際に就くようになっていたものと思われます。「思われます」と書いたのは、途中でドロップアウトしてしまったために、「就く」というところまで見届けることができなかったためです。

こうした講習に進んで参加したのは、発症し、大うつ病と診断されていた当時に、初級産業カウンセラー養成講座を修了していたということにもよりますし、何よりも同じ苦しみを背負っている「仲間たち」の役に立ちたいという気持ちがあったことによります。

初級産業カウンセラーの講座といい、ピア・カウンセリングの講座といい、中心となっていた習得目標の「技法」は「傾聴」と呼ばれるものでした。これは聞き役があれこれと指示をするのではなく、クライアント(相談主)の語ることに耳を澄ませて発話を促すことを言います。ピア・カウンセリングの場合では、治療・治癒までを目的とはできません。一回あたりの時間も、プロが行うカウンセリングよりも短いものであったと記憶しています。

この「傾聴」という技法を私は身につけているとは言いませんが、少なからず「聞き上手」程度にはなれたものとは思っています。この性向は、ネットを通じて知り合った友人と話すときにも活かされているのではないかと思うのです。

さらに言えば、臨床心理士さんにしていただいているカウンセリングの実際における発話の場面でも役立っていると思います。しかし、今回はそこまで踏み込んだ記述は差し控えたいと考えます。

さて私は、ネットで、つまりSkypeやLINEを通じての通話・対話の場面で、この「傾聴」の技法を活かすということは、可能であり、有益であると思っています。繰り返しますが、ここでは治療・治癒を目指すものではありません。むしろ、メンターについていない状態でそれを行おうとすることは、逆に危険で有害なことでさえあると考えています。

ここまで、ピア・カウンセリング「的」という表現を使っていたのは、ピア・カウンセリング「に近いこと」までなら、注意深く行うのであれば可能だという含みを持たせてのことです。

私が考えるその適用範囲とは、相互に信頼をおいている二者間での対話において、情報の交換・共有も含め、病識の確立や修正までではないかと考えています。それはもちろん、主治医にも伝えるべきことです。

以前にも述べているように、病識の確立・修正は、治療の促しという点で有益だろうと考えます。もちろんそれは、副次的なものであり、中心となるのはプロのカウンセラーや主治医とのコミュニケーションです。あくまでも、それをサポートするということです。

これに限らず、「傾聴」という技法は日常的なコミュニケーションの促しにも役立つことだと考えているので、関心のある方は、書籍を繙いてみるのもいいかと考えています。

 

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今回は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

茶箪笥

 

Skype読書会(おしゃべり会@Skype):8月度までの予定

おはようございます。

私は通話ソフト・Skypeを介した読書会を主催しています。月に1回、1冊のテキストを指定し、それについての感想や意見を交換しあう会として開催しています。

 

inochi-to-kotoba.hatenablog.com

 

今回は6月~8月度の予定を再度お伝えしたいと思います。

6月度(6/8、21時~23時予定)

神谷美恵子著、柳田邦男解説『生きがいについて』(みすず書房)。

 

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

 

 

または、Eテレ「100分de名著」5月度テキストでも可とします(若松英輔著)

 

神谷美恵子『生きがいについて』 2018年5月 (100分 de 名著)
 

 

7月度(第2金曜、21時~23時の予定)

 ジョージ・オーウェル著、高橋和久訳(ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

8月度(第2金曜、21時~23時の予定)

この月は夏休みの方も多いと思われますので、テキストを指定せず、フリートークといたします。ご参加のみなさんから、本の話題(面白かった本、オススメの本など)や、会の運営(取り上げたいテキストなど)についてのお話しをうかがえればと考えております。

参加についてのお問い合わせ

サイドバーの「リンク」項にある「お問い合わせフォーム」か、こちらのリンクから、メールアドレスをご記入の上、お問い合わせください。折り返し、コンタクト先のアドレスをご連絡いたします。どうぞよろしくお願いいたします。

 

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今回は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

茶箪笥

 

 

 

『等伯』上巻で出会った言葉

こんにちは。

今回のエントリーでは、昨日(5/23)に読み終えた『等伯』上巻(安部龍太郎著)からピックアップした言葉をご紹介したいと思います。

信春(=等伯、引用者注)はじっと絵を見つめ、どうずればいいか考え込んだ。

出来てはいる。だがなってはいない。その成らざる所を突き抜けるには、何が必要なのか・・・。(p.199)

 

等伯の、作品に望む厳しい態度が表明されています。「描く」と「成る」との違い。安易に「魂がこもった」かどうかを述べているのではありません。これは人物画を描いているときの記述です。その人物の過去と未来までも、その絵の中に写し取らなければと等伯は考えているようでした。

絵とは悟りに向かう細道のようなものでございます。だれかがそこを越えてくれたなら、他の者の励みになりまする。(p.205)

等伯に語られた言葉です。一人の人が成したことは、他の誰かにとっても「励み」となる。人間としての可能性が開けてくる。そういうことなんだろうと思います。

凄いよ。人はこの世だけで生きているんじゃないんだね。(p.246)

遂に作品を完成させた等伯に、その息子が語った言葉です。等伯が成した業(わざ)も凄ければ、そこから「永遠」を生きることを読み取った息子も凄い。

人は生まれや育ちがいいからといって、幸せな生き方ができるとは限らへん。恵まれているからこそ辛いこともある。(p.282)

これも等伯に語られた言葉です。人の幸不幸は、生まれや育ちで決するものではないということを語っています。

幸せな人の表情は似通っているが、苦しんでいる人の顔はそれぞれに個性的である。心の底の執着と不安を無防備にさらけ出している。(p.285)

トルストイにも似た言葉がありますが、それをさらに一歩追求して、「執着と不安」が「苦しみ」の源であることを述べた一文です。特に「執着」に着目しているところが、この作品全体が仏教の思想に支えられていることをうかがわせていると思います。

 

◆引用文献

 

等伯 上 (文春文庫)

等伯 上 (文春文庫)

 

 

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図書館で借りた「紙の本」だったので、「これは」と思った記述について付箋を貼り、珍しくノートに抜書きを作ってみました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

茶箪笥