「いのち」を耕すコトバを見つけに

読書系ブログです。「いのち」を耕し、豊かにしてくれるコトバを見つけに、本の森へと分け入っていきたいと思っています。

天皇の代替わりと「時代」の区切り

こんばんは。

2016年(平成28年)8月8日、天皇陛下はビデオ放送を通じた国民への「お言葉」を発表しました。その全文は以下で読めます。

 

mainichi.jp

 

来年2019年、新天皇の即位が行われますが、ここでは触れません。ここで提起しようとしているのは、天皇ご一家の冠婚葬祭をもって、「一つの時代」が始まったり終わったりするように考えてしまうのは、もうやめた方がいいのではないかということです。そういう「時代感覚」を持つのはやめようということです。

先日、ある出版社が出した平成の30年間に起きた出来事と、各年のベストセラーが併せて紹介されているリーフレットを見ることがありました。それを見ると、次のようなことが「全て」平成年間(1989年以降)に起きていたことがわかりました。

ベルリンの壁崩壊(1989年)

イラク軍、クウェートに侵攻(1990年)

湾岸戦争勃発(1991年)

ソビエト連邦崩壊(1991年)

・細川連立政権発足(1993年)

阪神淡路大震災(1995年)

地下鉄サリン事件(1995年)

・アメリカ同時多発テロ(2001年)

・「ゆとり教育」始まる(2002年)

イラク戦争始まる(2003年)

郵政解散(2005年)

世界金融危機(2007年)

リーマン・ショック(2008年)

民主党が圧勝し、政権が交代(2009年)

東日本大震災福島第一原発事故(2001年)

等々。ざっと見渡しただけでもこれだけの出来事が挙がります。その一つ一つが、単著を著すだけでも足りないくらいの「重み」を持っているとは言えないでしょうか。しかし、それは歴史家などの仕事でありましょう。そしてこの「30年間」は、一つの時代として「区切る」ことが果たして可能ないし適切なのかということを、敢えて考えてみるべきだと思うのです。

もちろん即座に「時代」って何?という定義の問題が出てくると思います。それもまた、長短のスパンを変えて設定することも可能です。つまり、その「時代区分」の設定とは、人為的であって、特定の視点から行われるものであることに注意を払いたいと思います。そこに、元号が変わることで時代が変わってしまうとすることへの疑義が発生する余地ができてしまいます。

もちろん、「時代が変わる」ということについて、もっと考察が深められるべきだと思いますが、残念ながら私の力の及ぶところではありません。一つ言えるだろうことは、祝祭ムードにつつまれ、「今までよりよい『時代』になるだろう」という漠然とした楽観ムードが漂うことです。しかし2000年に20世紀が終わり、2001年に21世紀が始まったときに人々の心に刻印されたのは、あの「9.11テロ」だったことを思い起こすべきではないかと思います。

つまり「時代が変わる」とは、単に元号が変わる程度のことではなく、もっと深くて大きな地殻変動のようなものの表れなのだろうと思うのです。

確かに、現天皇陛下が亡くなる以前に退位、新天皇の即位が行われることは慶賀すべきことでしょう。しかし、それをもって「時代」が替わり、もっとよい「時代」が来ると思うのであれば、それは危険なことかもしれないということを指摘し、今回の記事としたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

【18/05/24】

冒頭の「日付」が間違っていたとのご指摘をちょうだいしました。訂正いたしました。ご指摘を賜り、誠にありがとうございました。

 

茶箪笥

 

 

 

 

 

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