「いのち」を耕すコトバを見つけに

読書系ブログです。「いのち」を耕し、豊かにしてくれるコトバを見つけに、本の森へと分け入っていきたいと思っています。

ネットとピア・カウンセリングの可能性について

おはようございます。

昨日(5/25)Twitterを徘徊していて、工藤啓さんが下の講演会についてツイートしているのを見つけて、さっそく申し込んでみました。すると、すぐに登録が済んだとの返信が届き、参加できることになりました。今回の記事は、この講演会(に参加すること)に触発されて書いてみたいと思い立ったものです。

 

f:id:plus_alpha00:20180525221538j:plain

 

この講演会では、SNSカウンセリングの可能性について話をうかがえるようです。しかし今回は、ネットを通じたピア・カウンセリング「的」な「対話」の可能性について考えてみようと思っています。ここでの「ピア・カウンセリング」とは、当事者(=疾患を抱えている人)がカウンセラーの役を務めるカウンセリングのことと考えていただければけっこうです。

私がピア・カウンセリングという言葉を知ったのは、もう何年も前のことです。区が主催し、運営はNPO法人に委託されている「地域生活支援センター」に通っていたときのことでした。そこでは希望者に対して、ピア・カウンセリングの講習を施し、機会があればピア・カウンセリングの実際に就くようになっていたものと思われます。「思われます」と書いたのは、途中でドロップアウトしてしまったために、「就く」というところまで見届けることができなかったためです。

こうした講習に進んで参加したのは、発症し、大うつ病と診断されていた当時に、初級産業カウンセラー養成講座を修了していたということにもよりますし、何よりも同じ苦しみを背負っている「仲間たち」の役に立ちたいという気持ちがあったことによります。

初級産業カウンセラーの講座といい、ピア・カウンセリングの講座といい、中心となっていた習得目標の「技法」は「傾聴」と呼ばれるものでした。これは聞き役があれこれと指示をするのではなく、クライアント(相談主)の語ることに耳を澄ませて発話を促すことを言います。ピア・カウンセリングの場合では、治療・治癒までを目的とはできません。一回あたりの時間も、プロが行うカウンセリングよりも短いものであったと記憶しています。

この「傾聴」という技法を私は身につけているとは言いませんが、少なからず「聞き上手」程度にはなれたものとは思っています。この性向は、ネットを通じて知り合った友人と話すときにも活かされているのではないかと思うのです。

さらに言えば、臨床心理士さんにしていただいているカウンセリングの実際における発話の場面でも役立っていると思います。しかし、今回はそこまで踏み込んだ記述は差し控えたいと考えます。

さて私は、ネットで、つまりSkypeやLINEを通じての通話・対話の場面で、この「傾聴」の技法を活かすということは、可能であり、有益であると思っています。繰り返しますが、ここでは治療・治癒を目指すものではありません。むしろ、メンターについていない状態でそれを行おうとすることは、逆に危険で有害なことでさえあると考えています。

ここまで、ピア・カウンセリング「的」という表現を使っていたのは、ピア・カウンセリング「に近いこと」までなら、注意深く行うのであれば可能だという含みを持たせてのことです。

私が考えるその適用範囲とは、相互に信頼をおいている二者間での対話において、情報の交換・共有も含め、病識の確立や修正までではないかと考えています。それはもちろん、主治医にも伝えるべきことです。

以前にも述べているように、病識の確立・修正は、治療の促しという点で有益だろうと考えます。もちろんそれは、副次的なものであり、中心となるのはプロのカウンセラーや主治医とのコミュニケーションです。あくまでも、それをサポートするということです。

これに限らず、「傾聴」という技法は日常的なコミュニケーションの促しにも役立つことだと考えているので、関心のある方は、書籍を繙いてみるのもいいかと考えています。

 

==========

 

今回は以上です。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

茶箪笥

 

広告を非表示にする