「いのち」を耕すコトバを見つけに

読書系ブログです。「いのち」を耕し、豊かにしてくれるコトバを見つけに、本の森へと分け入っていきたいと思っています。

小学館「小説丸」サイトから「私の本」 若松英輔さん・02

おはようございます。

関東地方も梅雨入りしたそうです。私の場合、少し体調にも影響があったようですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。今回も「小説丸」さんに掲載された、若松英輔さんの文章を読んでみたいと思います。

 

www.shosetsu-maru.com

 

今回は内村鑑三石牟礼道子神谷美恵子らの業績をとらえつつ、「言葉」についての考えが表明されていきます。

 

私たち人間は、言葉そのものともいえる存在です。

だから、言葉を軽んずると大変なことになる(略)。

反対に、言葉をたったひとつ見出すことができたなら、人は生まれ変わることも、立ち上がることもできる。

 

例えばそれを、神谷の場合には「生きがい」という言葉に見出したのではないでしょうか。

少し大げさだと思われるでしょうが、その言葉に仮託されてきた意味合いの歴史性を「発見」すること、それに込められ続けた意味の重さを知り、自分のもの、自分「だけ」に体験されたものとしての「言葉」を見出す。つまりは、言葉を深く、ていねいに扱うことから、生まれ変わり、立ち上がる契機が見いだせるということなのだと思います。

 

ですから、人は自分の人生に裏打ちされた、世にただ一つの、意味と共にある人生の一語を探さなくてはならない。

(略)意味においてはまったく独自の、自分の人生そのものである、小さな言葉と出会わなくてはならないように思うのです。

言葉は、魂を繋ぐことができる。

 

私はそれ、つまり人と人との魂を繋ぐような、「小さな言葉」と出会えているでしょうか。それは例えば、政治や学問などの領域で使われるような、「人権」とか「正義」とかである必要はないと思います。もちろんそれは重要です。そうした言葉に新しい意味を吹き込み、「何か」を変える梃子にすることは可能だし、必要だと思います。

しかしそれは、一人で行うには荷が勝ちすぎるように思います。もう少し小さな、身の丈にあった言葉こそ見つけられないといけないのではないか。

そうした言葉として私が見出したつもりになっているのは、「共生の作法」であり(これでもまだ大きい)、「ていねいに生きる」ということだと思っています。

それぞれについては、また機会を改めて書くことがあろうかと思いますので、その節はよろしくお願いいたします。

 

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今回は以上です。「小説丸」さん掲載の第1回分についての私の意見は、

こちら

にまとめてあります。ご笑覧くださいますと幸甚です。

 

茶箪笥

 

 

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